ドキュメンタリー映画制作 企画意図
ドキュメンタリー映画「無名の人~石井筆子の生涯~」企画意図
二一世紀は「人権の世紀」といわれ、男も女も、子供も高齢者も、障害のある人も外国人も、すべての人が人間としての尊厳が大切にされる社会をめざす「人権意識」の確立が、今日の大きな課題となってきています。
男女の此世にあるは云うまでもなく、同等の権利を具備するものにして、男子の為に女子あるにあらさるは猶女子の為に男子あらざるがことし
若し女子の男子の為に存在するとせんか、男子も亦女子の為に存在するものたらんのみ、世の論者、女子に高等の教育を授くるは結婚を忌むの媒となる、故に女子の教育はある程度に止むべしと言う、実にそは男子の僻論にして女子の心理を知らざる者なり
(石井筆子・明治三○年・大日本婦人教育会雑誌・第九八号)
女性には社会的地位も人権もなく、男性の付属物とごく当然のように考えられていた明治の時代、その理不尽さに目覚め、かの平塚雷鳥より十数年も以前に、「男女同権」を高らかに唱え、女性の自覚と自立を促した一人の女性がいました。
その人の名は石井筆子。
石井筆子は、明治から大正、昭和にかけての時代、前半生においては、近代女子教育の先駆的な実践者として、後半生においては、社会の片隅に追いやられ顧みられることのなかった知的障害児の教育と福祉の向上に、その全生涯を捧げた女性です。
しかし、今日、石井筆子の名を知る人はほとんどいなく、これまでに歴史の表舞台に登場することはありませんでした。そのことについて、長崎純心大学の一番ヶ瀬康子氏は、「歴史の作られ方」に問題があると指摘しています。近代国家建設の歩みを強めた明治時代、そして、戦争の時代へとひた走った戦前のわが国では、女性の生き方や、社会的弱者である障害児に、社会の光が当てられることは無かったのです。どれだけ筆子が満身創痍働いても、その事業を正しく評価する社会の意識は育っていませんでした。そして、その偉業も、いつしか歴史の彼方に押し込められていってしまいました。![]()
近年、そして今日、ようやく、数少ない研究者や石井筆子ゆかりの人々の手によって、女性史の視点から、あるいは、社会福祉の領域から、そして、地方史の発掘からとさまざまな分野から、石井筆子は再び私たちの前に姿を現しつつあります。
そこに現れてきた石井筆子像は鮮烈な印象でもって私たちに迫ってきています。明治維新と封建体制の崩壊という動乱の時代に生まれ、近代日本建設から軍国主義へとひた走る明治、大正、昭和の激動の時代に、その時代や社会が相手にしなかった、あるいは、しようとしなかった女性や障害者の「人権」のために、自らの信念を貫き通す生き方をした石井筆子。
今日、女性の社会的地位は、施策の面でも、人々の意識においても、筆子の時代とは比べようもないほどに向上しています。障害者福祉の分野においてもしかりです。仔細に見るとまだまだ多くの問題が内在していますが、石井筆子が荒れ野に蒔いた「一粒の種」は、今、無数の花を咲かせ、大きく実を結んでいます。
今日に繋がる以前に、「時代」に対峙し、壮絶な戦いを続けてきた石井筆子の足跡から、私たちは学ぶべき多くのことがあるのではないのでしょうか?
筆子の足跡をたどることは、男女共同参画社会のより確かな実現にむけての女性の社会的地位向上の歩みを見直すことでもあり、また、社会の片隅に追いやられていた女性や障害者の人権の視点から、わが国の近代史を見直すことであり、これまでの歴史の表舞台で語り継がれてきた側面とはまた別の視点から、わが国の近代化の断面にスポットを当てることに繋がるものと思います。
さらに、その足跡を明らかにすることが、さまざまな所にゆがみとして現れている時代閉鎖的な今日の社会に、そして、何よりも、物質的な豊かさに眼も心も奪われ、人間の生き方の根元的な示唆を与えるものと確信しています。
映画「無名の人~石井筆子の生涯~(仮題)」は、これまでに明らかになった石井筆子についての諸研究に依拠しながら、その生涯の足跡をたどりつつ、その業績と人となりを浮き彫りにしていきたいと考えます。
そこに現れた石井筆子は、明治・大正・昭和の時代に、よくもこんな女性が!と、驚きと鮮烈な印象を持って迫ってくるに違いありません。
そして、今の時代に生きる私たちに限りない励ましと勇気を与えてくれる・・・。そんな映像にしたいと思います。
ピースクリエイト 映画「無名の人~石井筆子の生涯~」制作委員会
監督 宮崎信恵
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