女子教育・女性解放の使命を生きた二人の友愛④

●第4回●

女子教育・女性解放の使命を生きた二人の友愛 ――梅子と筆子の出会い④

 筆子さんのこの友愛の決断が、女子英学塾を、津田塾大学へ発展させる大きな契機となるのです。
まさに、梅子さんと筆子さんは、神が人間をいとおしむ意志・無償の愛・アガペーを、理想目標とし、女子教育、女性解放の使命を生きる盟友としての強い絆に結ばれていました。かけがえのないお互い同志が、独自にもっている個性、他の人の中にはない、その人だけの輝きを肯定し合い、共にいることを喜び楽しむ、友愛・フィリアに生きた二人なのです。
 

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女子教育・女性解放の使命を生きた二人の友愛③

●第3回●

女子教育・女性解放の使命を生きた二人の友愛 ――梅子と筆子の出会い③

打ち続く不幸を「神の試練」と受け止めることが出来たのは、キリスト者としての信仰に基づく、女子教育、女性解放に対する使命を生きる熱い思いがあったからでしょう。この間、同志・梅子さんは、静修女学校の理事として、校長・筆子さんを援け、資金援助のアピ-ルをアメリカの支援者に要請しています。
これは「基督教週報」に出てきます。
1894(明治27)年頃、筆子さんは、運命的な出会いをします。まさに神の導きでした。出会ったのは、敬虔なクリスチャン石井亮一氏です。

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女子教育・女性解放の使命を生きた二人の友愛②

●第2回●

女子教育・女性解放の使命を生きた二人の友愛 ――梅子と筆子の出会い②

筆子さん19歳、1880(明治13)年、時の明治天皇皇后の命により、日本の上流階級の女子教育の振興のため、フランス、オランダに2年間の留学をしています。

この頃の女子教育は、上流階層の人のためでした。また、日本の政策も欧米列強と肩を並べるという欧化政策を取っていたので、その象徴として国際的社交場、鹿鳴館が出来ています。英国、フランス、オランダやアメリカ等、外国生活の経験豊かな女性たち、津田梅子さんや筆子さんたちは、鹿鳴館の華でした。
しかし、この頃からの脱亜入欧政策は、だんだんとアジア蔑視政策のもととなったのは残念なことです。

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女子教育・女性解放の使命を生きた二人の友愛①

2004年10月3日(日)午前11:10~12:00まで、津田塾大学の1号館1111教室にて『津田梅子記念礼拝が行われました。当日は早川敦子助教授の司会進行で、記念礼拝が行われましたが、その中で、社会福祉法人 滝乃川学園の吉村庄司理事長が司祭として『女子教育・女性解放の使命を生きた二人の友愛』-梅子と筆子の出会いー を説教されました。当日の説教の内容を全4回に渡って掲載いたしますのでご高覧ください。

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